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ここには正解は書いてない

ちょうど最近思ってた話に符合するところがあったので。

ぼくの書いた本への一番多い批判は「じゃあどうすればクチコミするのか、答えが書いていないじゃないか」というものです。

もちろん著者は本を世に出した以上、すべての評価を(それがどんなに痛烈な批判であっても)受け入れるべきだし、その自覚はあるんだけど、同時に万人に応えることができないのも自覚しておくべきで、あらためてできないことがある(むしろそのほうが多い)ということを書いておきます。

このブログにたまに書くマジメな内容も、ぼくの意見や感想は書いてあっても正解は書いてません。だってわかんないから。
そりゃわかんないよ。開き直ると思われようが、正解なんてぼくにはわからない。ただ、いつもその時々の状況にあわせて正解らしきものを探っている。そのプロセスも含め、可能な限り書いているつもり。

もちろん賛否のうち、賛辞も届いてて、どうもそれは何人かと会ったりメールでやり取りしてる限り、自分で考えるクセがある人が多いです。というか今のところ全員がそうだと言ってもいい。

ぼくの本やブログを読んで、新しいマーケティングや、ネットを使って企業や消費者が繋がった時代にマーケターに何ができるのかを考えてくれた人が少なからずいます。
ウソだと思ったらGoogleで検索してみてください。批判も出てくるけど、それ以上に「自分が何を考えたか」を書いたレビューが見つかるから。
(見つけたものは、はてなブックマークでまとめてますので、ここからどうぞ)

ぼくはそういうのを読むと本当にうれしくなります。

雛鳥体質って言葉を前に書いたけど、本や講演やブログに答えを求めるのはやめたほうがいいです。きっと書いてないから。書けないし。
ほんとに申し訳ないけど、ぼくは正解を知らない。だから書けない。

ただ一緒に考えることはできるかもしれない。
それが仕事であってもなくても、ぼくは企業と消費者を繋ぐコミュニケーションに関わることであれば、喜んで手伝います。
そこで得た経験を、ぼくはまたブログや本に書くだろうし、そして自分に相談してくれた方々に授けるつもりです。

このブログや、ぼくの本を通じて、企業のマーケティングに関わる人が「このままでいいのか?」と考えて、行動する人が増えるといいなと思っています。

そのためにできることは発信し続けることなのかなと。

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» 僕はそのとき出そうとしている正解らしきものに近づくためのヒントを探している
最近グッときたブログエントリー記事。「グッときた」という表現が適切かはわからないけど、「2009年に印象に残ったブログエントリー記事」にはたぶん入ります。...

コメント(6件)[コメントだけのRSS]

>(見つけたものは、はてなブックマークでまとめてますので、ここからどうぞ)
↑リンクがないようです><

ごめんなさい。リンクしておきました!

ちょっと全然関係無い話題のような出だしで申し訳ないのですが、宗教って必要だと思うんですよ(ちなみにボクは無宗教。高校の時の友達にお坊さんは居るけど)。

人(親とか)が死んだときに、やっぱり気持ちの整理が付かない、そんな時に冠婚葬祭のプロが来て、世の中にありもしない天国に死んだ人が行く一連の手続きをしてくれて、式が終わると残された人の気持ちが整理できるような説法をしてくれる。

そうすると、気持ちの整理や、その人が何故死んだか?などの答えを貰って少しは気持ちが安定するわけですよ。

やっぱり、その「気持ちが納得する段取りと(例えウソでも)答えを提供してくれる人(業者)」っていうのは必要なんではないだろうかなぁ、と。答えを貰えば、その答えを頼りに短期的には次のアクションに移れる、ってメリットもあると思います。


まあ、そんな心理が世の中にあるからこそ
・占い
・アメリカ映画(必ず明確なオチがある)
・各種ニセ科学商法(健康ブレスレットとか)
なども成立するとも思うわけで。


PS:個人的には「本に必ず答えが書いてある必要がある」とは思ってないですよ。でも、そんな考えが出来るようになったのは25才後半になってからですかね。昔は明快にゴールや答えが見えないと納得できなかったモンですよ。

ONOさん、コメントありがとうございます。

日常において、ある種の「救済」を求めるのはわかります。実際ぼくもそういう経験がありますし。
ただ、ぼくが言いたいのは、仕事において、自ら考えることを放棄して、誰かに(それこそ本1冊の1500円で)正解を教えてもらえるとしたら、それはちょっと危険だなと。

本に限らず、講演でも、それこそブログでも、それは考えるヒントや刺激にはなりこそすれ、そのまんま使える「答え」ではないんですよね。

なるほど「自ら考えることを放棄して」はどんな立場においてもよろしくないですよね。

社会に出たての時はある程度しょうがないにしても、数年経ってもその状態の人は危険ですよね。

経験上、そういった「自ら考えることを放棄して」いる人は、予算と人が充分にある組織に多いですね。自分は大きい会社も小さい会社も何社か経験しましたが、自分自身、大きな会社にいたときには「このままでは腐る(考える必要が無くなる)」と漠然と感じてました。

大きい会社(社内にコンサルが居るサイズ)のトップにも「自ら考えることを放棄して」居る人は多くいますよね。だって、みんな部下がやってくれて、綺麗なパワポにまとめてくれて、答えまで全部準備してくれてるし。だから、答えが明確になっていない資料を見ると「で、何?」みたいな反応をしちゃう。ここで「で、君が言いたかったのはAか、Bか、それ以外の部分?」とか聞いてくれる人はまだ自分で考えて聞いてるなぁ、とも思うのですが。


世の中、本でも人との会話でも、誰かが作った工作物でも、色んな事を考える余地があるのに、それに気づけないのは機会損失だなぁ、と思ってます。とはいっても、人によって正解やそこに至る道筋は様々なので、同じ本を読んで「これだ!」と思う人と「何も書いていなかった」と思う人がいてもしょうがないかなぁ、とも思います。


あー、いつもながらグダグダなコメントで申し訳ない。河野さんのポストは、こんなグダグダなコメントの形ではあるけど、ボクに何かを考えさせてる、と好意的にとって頂ければ幸いです (^_^;。

いえいえ、こうしてコメントいただけることが本当にうれしいのです。
コメントのつかないブログは(どんなにPVが多くても)ぼくが望むカタチとは別物なので。

自分で考えなくなってる傾向が強く感じられるのはネットの影響もあるかなあ。
誰かが書いてた気がするけど、ネットの言説ってそれっぽいので、わかった気になっちゃうんですよね。ただの勘違いなのに。

あと友だちが少ない人にも強い傾向なんじゃないかな。友だちがいないんじゃなくて、ごく少数の人とだけ付き合ってるような人たち。
そこで群れてるから、思考がどうも閉鎖的で排他的で内輪の結論とずれてるだけでいちゃもんをつけてくるというか。
あ、このへんは特定の人たちをイメージし始めてるので(一般論じゃなくなってるので)このへんでw

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