さっきのエントリーを書いてみて、もちろん偽善じゃないんだけど、なんていうか周囲から善人と思われるような行動を取るのはおかんの影響なんだろうなと思った。
おかんはぼくなんかよりずっとずっと人間ができていて、行動に私心がほとんどない。おとんは実直さを人間にしたような人で、ぼくは彼をすごく尊敬してるんだけど、同時に(ぼくはあまりに怠惰で適当だから)彼のようにはなれないなあとも成人した頃には気付いていて、まだおかんのほうが「なるようになる」っていう腹のくくり方とかも含めて、自分の性格に近い気がしていた。自分で書いててちょっと気持ち悪いけど、ほんとにできた両親なんですよ。ぼくがなんとかなってるのも全部彼らのおかげ。
ぼくがガキの頃に近所に聾唖者のおばさんが引っ越して来た。別に隣近所ってほどでもなくて、1本向こうの通りのちょっと先の家。
おかんがやったことは手話の本を買ってくることで、ぼくはまだ小学生だったからなんでそんなことしてるのかよくわかんなかったけど、とにかく彼女は手話を憶えて空いてる時間にそのおばさんの家を訪ねていた。
子どもにとって手話ってけっこう楽しくて、だからぼくも一緒に本を読んでその頃は手話が少しだけ使えた。今はさっぱりだけど。
オトナになって、それこそ今のぼくは当時のおかんとちょうど同じくらいの年齢になってるんだけど、なんとなく彼女の気持ちが理解できるようになった。おかんにとって、それは「そうやったほうがいいと思うからやった」だけで、あんまり深く考えてなかったんだと思う。
ぼくはずっと「それってカッコいいか、5年後の自分に笑われないか」ってことを行動の判断基準にしてきた。こうして振り返ると、それっておかんの影響なんだなあって思った(もちろんおとんのも含んでるけど)。子どもは親のことをちゃんと見てて、本人も気付いてないようなところでしっかり影響を受けてる。
ちょっとセンチなエントリーになっちゃったな。ペロリンチョ。











コメント(1件)[コメントだけのRSS]
ペロリンチョで締めるのはいいですね。
ちょっと感動した。
投稿者: daydream lover | 2008年8月27日 15:41